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( 香水工場の )

香る生活


日本のゼラニウムを守る小豆島・曽田香料植物研究所#1
産業としてのラベンダー畑
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きょうから何回かに分けて「曽田香料植物研究所」さんについて書きます。気合いを入れて書きますのでちょっと長くなるかも・・・

「曽田香料植物研究所」って何?という方が多いと思いますが、知る人ぞ知る研究所さんです。

現在は実質的な活動はあまりされていませんが、日本の香料植物の畑と香料ビジネスを精力的に開拓した曽田政治氏の記念碑的な施設で現在でも貴重で稀少な香料植物保存する施設さんです。

先日、投稿した小豆島「かどや」ゴマ油工場見学では、原料のゴマは「99%輸入」と書きました。私が調べたわけでなく工場の方の受け売りなのですが、概ねそうだろうな、と多くの人は納得です。

人件費が高く広大な土地に恵まれない日本ではゴマ栽培そのものが成立しにくいものがあります。土地や気候はまだしも完全機械化に難点がある作物は日本では致命的です。これはゴマに限ったことでなく、香水の原料となる香料植物全般に言えます。

北海道のラベンダー畑は有名ですが、精油採取のため畑というよりむしろ観光地であり観光農園という役割が大きいでしょう。しかし、もとは観光地でも観光農園でもなく、純粋にラベンダーオイルを生産するため畑だったことをご存じでしょうか?

その畑の近くには大がかりな蒸溜所があり、昭和40年代前後まで「産業として」ラベンダーオイルが生産されていました。

「産業としてのラベンダーオイル生産」の意味は、資本主義経済メカニズムの中、つまり、おカネを払う第三者の厳しい評価に耐えうる「品質と数量」が維持されていたということであり、何よりそれで食べていく人々が存在したということです。

産業は人々を養い社会を形成する原動力で、そこに携わる多くの人々の生計がかかってきますので、趣味や自家農園とは意味が違います。

北海道産のラベンダー・エッセンシャル・オイルの品質は、フランス・グラース産のラベンダーオイルに引けを取らないと言われていました。

日本では香料植物の生産はなされていないというイメージが強いのですが、そんな畑を開墾したとんがった男達が日本にもいました。

その代表のひとりが曽田政治氏です。日本の大手香料会社・曽田香料の創業者にして北海道の大平原にラベンダー畑を出現させた人物です。


ゼラニウム

(続く・・・)

(2009-10-11)
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