香水の歴史

( 最初の香水はどこで・いつはじまったか不明 )
< back | next >
香水のはじまりは10世紀前後であり、それまでは香料そのものが利用され、香水と香料の境目も明確ではありませんでした。

香料の歴史

香料・食品・医薬品の区別がない時代

古代エジプトではミイラの防腐、殺菌、保存に香料が使用されたことから、香料は薬品的な必要性から生まれた物質と考えられます。

香料は化粧品と食品どちらにも使用されますが、化粧品として美容液、クリームとしてすでに古代エジプト、ギリシア時代には化粧品が存在したことが知られています。

食品としては腐敗を遅らせたり防いだりする添加物として使用されています。

パルファム(香水)の語源

パルファムとは香水という意味ですが「Parfum」の語源はラテン語の「Per Fumum」(煙で)という意味だそうです(ラテン語をまったく解せないため他人の受け売り)

宗教儀式でお香のようなものが焚かれていたことが伺えます。

香料の歴史はふしぎなことに、西洋でも東洋でもその始まりは宗教的儀式と関係が深い。

また現代でもお寺や教会、モスク内をお香などで満たす行為は世界中の宗教に見られます。

神聖なものであり、また人々を穏やかに恍惚とさせる効果があるからでしょうか。

香料はゴールドや宝石と同等?

シバの女王は旧約聖書の有名なエピソードですが、シバ王国(現在のイエメン、エチオピア)の女王がイスラエルのソロモン王と会見した際、金、宝石、乳香、白檀などを贈りました。

ここで注目すべきは白檀や乳香などの香料が金や宝石と同等の宝物に見なされている点です。

シバ王国は乳香・没薬など香料の産地として栄えていました。

美容や宗教儀式として重宝されてきた香料は香辛料とほぼ同意義であり、古代では東西交易(シルクロード・絹の道)の重要なアイテムでした。

十字軍の東方遠征で香料はヨーロッパにも拡がり、近世の世界的な航海時代でも東西交易のもっとも重要な産物でありつづけます。

香料は東西貿易の重要産物

ヨーロッパ、中近東(アラビア)、インド、中国、日本の間をめまぐるしく行き来する商船隊がもっとも重視して運んだものは乳香(にゅうこう)・没薬(もつやく)・白檀・日桂・胡椒・伽羅・イリスなどでした。

現在では考えにくいことですが、香辛料は金銀(ゴールド・シルバー)より高価と言われていました。

現在でも、たとえばブルガリアローズオイルはゴールドと同程度の資産価値があると見なされていますが、古い時代の香辛料は同等に資産価値がありました。

なぜなら香辛料のように軽くて高価なものは交易にうってつけだからです。

香水の歴史がはじまる

アルコールの発見と香水の起源

香水の歴史は香料の歴史からはじまりました。

香水の登場はアルコールが発見されてからのことです。

香水の製造は製造可能となる10世紀以降から本格化しますが、それまで「香りもの」とはすなわち「香料」であり、必ずしも液体として楽しまれてはいませんでした。

香水は香料から分化したものと考えて差し支えないと思います。

香料は香料・食品・医薬品・化粧品へと分化しましたので、香水は香料のひとりの子供的な存在です。

香水が、必ずしも香料から分化していなかった時代から現代まで、香水の歴史を見ていきましょう。

クレオパトラのバラ風呂、香水文化成立の予感

クレオパトラ(クレオパトラ7世、BC69-BC30)は古代エジプトプトレマイオス朝最後の女王。

ユリウス・カエサルとマルクス・アントニウスというローマ帝国屈指の英雄を魅了する絶世の美女。

美女かどうかは昔のことで実際のところはよくわからないところですが、バラ(薔薇)に関する言い伝えがいろいろあり、とにかく香水の歴史教科書では必ずそのエピソードが語られます。

クレオパトラは体臭をバラ臭に変える努力をした最初の人間として歴史に刻まれました。

香水とは言えませんが香水文化成立の予感を感じさせます。

  • バラ風呂
  • バラ宮殿


カエサルとアントニウスを迎える際、廊下や寝室にバラを敷き詰めたという話には空想をかき立てられます。

クレオパトラが乗った船はバラの香りが漂い遠くからでもそれがクレオパトラの船だとわかったという伝説もあります。

いろいろ誇張されているでしょうから差し引いて考えべきですが、それでも大量のバラが消費されたことが伺えます。

東西の歴史の語るところでは権力者が何かの趣味を持っていれば、それは宮人や貴族たちに必ず伝播しますので、旺盛なバラ需要が推測されます。

そこでこの時代には権力者向けのバラ畑がありすでに人工的に栽培されていたのでは?と考えられています。

ローマ時代のバラ風呂

香料が宗教行事や医薬品としてでなく、香粧品(化粧品、トイレタリー)として広く使用されるのはローマ時代からです。

ローマ人は西洋では珍しいことに水浴やお風呂に入る習慣があり公衆浴場もさかんに建設されました。

現在でもイタリアをはじめ、イギリスやフランスなどローマ帝国の支配が及んだ地域に遺跡として数多く発掘されています。

余談ですが、お風呂文化はローマ帝国の崩壊とともにすたれ、その後ヨーロッパ人はお風呂と無縁な生活習慣を築くことになります。

そのため体臭がひどく、それをかくすために香水文化が生まれた、という部分もあることは皮肉な歴史です。

ローマ時代は公衆浴場が流行したと同時に「バラ風呂」などバラの花や精油を使用した生活文化が記録に残されています。

クレオパトラによって愛されたバラ風呂はまだエジプト時代では社会的にはごく限られた一部の人だけが享受できたことですが、一般的に広く(とは言ってもまだまだ貴族など権力者だけの間ですが)バラが使用され始めます。

しかも飲んだり肌に付けたり利用方法も多様化します。

パーティで部屋をバラの花で埋めたり、お風呂に浮かべたりお酒に入れたりしていたようです。

バラの香りを楽しむという点で香水文化の前哨戦的な位置にあります。

アラブ・アラビアの『ローズウォーター』

中世イスラムの錬金術

中世イスラムでは錬金術が盛んでした。

錬金術は他のものからゴールドを創り出すというファンタスティックな魔法で、それ自体はやや怪しげな活動ですが、結果的に化学をはじめ科学全体のレベルを上げることになります。

アラビア人たちは錬金術の装置の一つとして制作されたガラス製や金属製の蒸留装置でもって、バラを蒸留するようになります。

ローズオイルとローズウォーター(バラ水、フローラルウォーター)の誕生です。10世紀頃です。

エッセンシャル・オイルを抽出する「水蒸気蒸留法」という手法をはじめて確立し、またローズオイルとローズウォーターをはじめて精製した人物が、アラビアの偉大な科学者兼医学者イブン・シーナ(英名:アビセンナ)だった。

イブン・シーナ先生の『医学範典』(カノン)は近世までヨーロッパの主要大学の医学の教科書でした。

この例からも、この時代、いかにアラビアが進んだ文明を誇っていたか忍ばれます。

イスラムの宗教儀式としてローズウォーターが重宝されたことから、ローズウォーターには安定的な需要が発生します。

アルコールの発見

同時期、同じ蒸留器で発酵物からアルコールが抽出されることが知られるようになりました。

アルコールという物質の存在と、その製法が未熟ながらも生まれたのです。アルコールのアル(al-)はアラビア語に起因します。

精製方法が確立されたアルコールと、ローズの花や、蒸留されたローズオイル、ローズウォーター(バラ水)はすぐに出会います。

幸せなフレグランスが生まれた瞬間です。

香水の原型か? ハンガリーウォーター

アルコールに香料を溶かす製法は基本的に現在の香水と同じで、現代香水の元祖とも呼ばれます。

この後の「ハンガリーウォーター」を現代香水の元祖とする人もいて意見は分かれるかもしれませんが、この辺が香水の原型です。

このあと十字軍はバラと蒸留器と、バラ水、アルコールの蒸留技術、そして香水をヨーロッパに持ち帰ることになります。

「ハンガリーウォーター」

ハンガリーウォーターをご存知でしょうか?

いろいろな伝説があってよくわかりませんが、ハンガリー王妃エリザベートのために14世紀、ハンガリーの僧院で作られたと言われています。別名『若返りの香水』。

72歳のハンガリー王妃エリザベートに献上され、洗顔、化粧、入浴などに使用され持病のリウマチが治ったばかりか、若さまで取り戻し、ポーランド国王からプロポーズされたという伝説があります。

ハンガリーウォータはシャンプーの後のリンスに用いると髪につやが出ると言われ現在でも使用されています。

当時アラビアで発明されたばかりのアルコールにローズマリーやローズオイルを加えたもので、作り方が簡単なので現在でも手作り化粧品(処方:エタノール+精油)として人気があります。

ルネッサンス前後

16世紀になるとイタリア、フランスあたりにも香水作りの気運が高まります。

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局はフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会付属の薬局。日本では香水の店として百貨店などで出店しています。

この時代は医薬品も化粧品も香水も同じようなものですから、薬の一部としてフレグランスも制作されていたと推測されます。

アンリ2世と結婚したメディチ家のカトリーヌはイタリア文化をフランスに広めた人ですが、当時のフランスはイタリアと比較するとかなり発展途上国(ドイツなどといったらさらに野蛮国とみなされていたでしょう)。

しかし、時代とともに芸術やファッションの本場は徐々にフランスへと移動し、香水文化も同様にフランスで開花することになります。

ルイ王朝時代

17世紀、ルイ14世。絶対王政時代の幕開けを告げる象徴的存在。太陽王。

トイレが少なかったことである意味超有名なヴェルサイユ宮殿を造営。

香水好きの皇帝として調香師を常駐させるなど有名ですが一説に人糞まみれのヴェルサイユ宮殿での防衛手段として香水を多用したとも言われている。

この時代に香水産業は大きな発展をとげます。ひとつにはマスキング。

お風呂に入らない貴族達が体臭を隠す(マスキング)ために、エチケットとして香水が使用されるようになります。

また、この時代は皮革独特の動物臭を消すために香料が重宝され、香料原料となるジャスミンやローズなどがさかんに生産されるようになります。

香水のメッカとしてとして有名なグラースは実は香水よりもなめし皮産業の街であり、周辺はなめし皮処理用香料畑の産地でした。

※[ひと休憩]香水文化を結果的に高めた千両役者たち・・・

  • エリザベス1世:イギリス女王。「薔薇の女王」。バラの香りをことのほか愛し、衣服・手袋・カーテン・ベッドなど何でもかんでもバラの匂いを付香したとか。
  • ルイ14世:フランス国王。香水好きで有名な皇帝。「最もかぐわしい皇帝」。
  • ルイ15世:フランス国王。香水好き。
  • ポンパドール夫人:ルイ15世の愛人。香水好き。
  • マリー・アントワネット:ルイ16世王妃。香水好き。動物性の香水が主流のなかでハーブなど植物性の香りを愛用。当時としてはかなり垢抜けていた。
  • ナポレオン・ボナパルト:柑橘系オーデコロン愛用。


グラースの香料産業

南仏グラースはアルプス山脈の丘陵の一翼に位置し温暖で香料植物に適した気候に恵まれジャスミン、ミモザ、ラベンダー、ローズマリー、オレンジフラワーなどが自生していました。

「南仏」、「プロバンス」という響きは温暖な気候とともにラベンダーのようなハーブ類や丘陵を被う豊かな自然、地中海の文化などをイメージさせますね...

皮革製品の対臭対策として用いられていたエッセンシャル・オイル関連産業はそのまま香水産業へと転換していきます。

現在ではエッセンシャル・オイルや香料の産地は北アフリカ、中近東、東欧、中国などに移りましたが、現在でもグラースは世界の著名な香料会社、化粧品会社が集まり、調香師を多く輩出する街として有名です。

ケルンの「オーデコロン」

18世紀、ドイツのケルンでオーデコローニュ(Eau de Cologne、オーデコロン)が製品化されされました。

大変な人気で、もともとはオーデコロンとは「ケルンの水」という意味ですが、普通名詞化し香水の一ジャンルとなりました(パルファン、オードトワレ、オーデコロン)。

この時代はナポレオンの時代ですが、ナポレオン自身オーデコロンの愛用者として有名で、またフランス兵たちは自国の妻や恋人へのお土産として「ケルンの水」を持ち帰えりました。

同時代イギリスでは『香水風呂』が流行り、フランスでは『香水専門店』が開店したり香水が化粧品や生活用品の一分野として確立された時代だと思います。

このころになると香料、香水、化粧品、薬品はかなり明確に分離されるようになっています。

合成香料の発明

ジャスミ、ラベンダー、シトラスなど様々な天然香料の産地を有し、自国で香料生産が可能なフランスに対して、ドイツでは化学的に香料を生産する合成香料が開発されました。

もともとドイツは化学産業がさかんで農薬、肥料、医薬品産業の発展が著しかったため、合成香料の開発も自然な成り行きといえます。

現在、世界の大手香料会社は医薬品や化学会社でも同じですが、ドイツ、スイス、オランダ周辺に起源がある会社が多いようです(とはいえ合併に合併を繰り返し、巨大化し、多国籍化した現在の医薬品や化学会社に国籍を問うのはもはや意味がなくなりつつあります)。

現在世界トップの香料会社:Givaudan(ジボダン、スイス)、IFF(アメリカ)、Firmenich(フィルメニッヒ、スイス)、Symrise(シムライズ、ドイツ)、Quest International(クエスト・インターナショナル、オランダ)、ICI(英国)、Takasago(高砂香料工業、日本)、T.Hasegawa(長谷川香料、日本)。

合成香料の発明で量産が可能となり、香水はそれまでの貴族の品物から民衆の化粧品へとなっていきます。

合成香料は自然界に存在する香り成分の再現(ネイチャーアイデンティカル)が目標でした。

しかし、現在では自然界に存在しない香り成分(ニューケミカル、アーティフィシャル)も創り出されるようになり、香りのバリエーションは拡大の一方です。

一方で、反面自然回帰指向も強く天然香料には安定した人気と需要があります。

香水史を塗り替えたシャネルNo.5とフジェール・ロワイヤル

合成香料によって香水に新時代が訪れた事件が、1921年の「シャネルNo.5」でした。

香水業界では「シャネルNo.5」によって香水史は塗り替えられたとされています。

しかし、ウビガン社による1882年発売の「フゼア・ロワイヤル」、仏語読みでは「フジェール・ロワイヤル」(Fougere Royale)は当時できたばかりの合成香料クマリンを配合し、まったく新しいテイストの香りでヨーロッパに一大メンズ香水ブームを巻き起こしました。

ウビガン社とはフランスの老舗香水メーカーの一つです。1775年ジャン・フランソワ・ウビガンによってパリで創業されました。

マリー・アントワネット、ポンパドゥール夫人、ナポレオンなどフランス王室がウビガン社の香水を愛用したとされます。

これ以降、香水業界は香水原料として合成香料が大いに注目されるようになり、そしてシャネルNo.5によって合成香料全盛期が切り開かれることになりました。

自然回帰へ向かう現代の香水事情

フジェール・ロワイヤルとシャネルNo.5が切り開いた合成香料全盛トレンドは脈々と現代まで続いてきましたが、ここにきて、香水の自然回帰が、一大ムーブメントとなっています。

天然ブームに乗って、香水にも、100%天然香料だけの香水も創られるようになってきています。

しかし、天然香料だけでは香りの持続性と香りのバリエーションが貧弱です。

そのため天然100%香水は主流になることはない(天然100%が好きな方々はすでにアロマテラピーへ移動)と、推測されます。

しかし、一方で天然香料を多く配合し、また同時に環境や香料産地に対するフェアトレードにも配慮した香水製品の製造が追求される時代となっています。

< back | next >

TOP