( 香水工場の )
香る生活
『コンシンのジェル』のコンシンの意味は?
失礼しました。「渾身のジェル」です。
(2006-04-01)
(2006-04-01)
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香る生活
香水の街、グラースってどんなところ?
南仏グラース・・・コートダジュールの有名な観光地ニースとカンヌからバスや鉄道で簡単に行けるグラースは、アルプス丘陵地帯の一部に位置し、ミモザ、カーネーション、バイオレット、オレンジフラワー、ローズ、ラベンダー、ジャスミンが咲き乱れ、天然香料の産地として有名で昔から香水産業が栄えました。それゆえ香水のメッカとも呼ばれます。
現在香料畑(お花畑)は少なくなりましたが、天然香料のすぐれた抽出技術を誇る企業が多く(超高価な天然香料は抽出技術如何がそのまま企業の競争力)現在でも有名な香料会社が多数あります。シャラボ、ロベルテ、デグサ、ビオランド、シムライズ...また調香師を多く輩出することでも有名で、道を歩けば、調香師の家族か親戚の人がいる(らしい)。この狭い伝統的な街とその周辺には50の香料会社があり、3500人が従事しているとのこと。
グラース市の人口が4万人だから大変な香料都市ですね。グラースを含めコートダジュール一帯は、最近はバイオテク企業の隆盛が著しく豊かな自然とハイテク産業都市として今後ますます盛り上がりを見せそう。
・・・でも、調香師や化粧品会社はやはりパリに出てしまうのでちょっと気になるところ。グラース(香水の古都)とパリ(経済の中心)は、日本で言えば京都と東京の関係に似ていないこともない。グラースでは「香水のメッカ」としての世界的ブランドをすたらせないために近年パフューマー(調香師)養成教育に注力しており世界中からパフューマー予備軍を集める街となっています。とくにセミナー好きの日本人はとっても大切なお客様。
グラースでセミナーを開催するのはもちろん、グラースの香料協会では日本にまで出張セミナーに行こうかなどと企画されているとも風の便りに聞こえてきます。フランス大使館では対仏投資のためのセミナーなどやっていますがグラースは対投資重要地域として推奨されています。
私だったら抗酸化物質(アンチエイジング)を研究しているグラース周辺のベンチャー企業に関心アリ。アルプスの山辺にはまだまだ驚異的な抗酸化力を発揮する草が眠っているらしい〜 (2006-04-01)
現在香料畑(お花畑)は少なくなりましたが、天然香料のすぐれた抽出技術を誇る企業が多く(超高価な天然香料は抽出技術如何がそのまま企業の競争力)現在でも有名な香料会社が多数あります。シャラボ、ロベルテ、デグサ、ビオランド、シムライズ...また調香師を多く輩出することでも有名で、道を歩けば、調香師の家族か親戚の人がいる(らしい)。この狭い伝統的な街とその周辺には50の香料会社があり、3500人が従事しているとのこと。
グラース市の人口が4万人だから大変な香料都市ですね。グラースを含めコートダジュール一帯は、最近はバイオテク企業の隆盛が著しく豊かな自然とハイテク産業都市として今後ますます盛り上がりを見せそう。
・・・でも、調香師や化粧品会社はやはりパリに出てしまうのでちょっと気になるところ。グラース(香水の古都)とパリ(経済の中心)は、日本で言えば京都と東京の関係に似ていないこともない。グラースでは「香水のメッカ」としての世界的ブランドをすたらせないために近年パフューマー(調香師)養成教育に注力しており世界中からパフューマー予備軍を集める街となっています。とくにセミナー好きの日本人はとっても大切なお客様。
グラースでセミナーを開催するのはもちろん、グラースの香料協会では日本にまで出張セミナーに行こうかなどと企画されているとも風の便りに聞こえてきます。フランス大使館では対仏投資のためのセミナーなどやっていますがグラースは対投資重要地域として推奨されています。
私だったら抗酸化物質(アンチエイジング)を研究しているグラース周辺のベンチャー企業に関心アリ。アルプスの山辺にはまだまだ驚異的な抗酸化力を発揮する草が眠っているらしい〜 (2006-04-01)
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香る生活
香水の歴史
事情があり香水の歴史をまとめました。先日の「バラの歴史(ローズの歴史)とエピソード」とともにお役に立てれば幸いです。
古代エジプトではミイラの防腐、殺菌、保存に香料が使用されたことから、香料は薬品的な必要性から生まれた物質と考えられます。
香料は化粧品と食品どちらにも使用されますが、化粧品として美容液、クリームとしてすでに古代エジプト、ギリシア時代には化粧品が存在したこと知られています。
食品としては腐敗を遅らせたり防いだりする添加物として使用されています。
パルファムとは香水という意味ですが「Parfum」の語源はラテン語の「Per Fumum」(煙で)という意味だそうで。宗教儀式でお香のようなものが焚かれていたことが伺えます。
香料の歴史はふしぎなことに西洋でも東洋でもその始まりは宗教的儀式と関係が深く、また現代でもお寺や教会、モスク内をお香などで満たす行為は世界中の宗教に見られます。
神聖なものであり、また人々を穏やかに恍惚とさせる効果があるからでしょうか。
シバの女王は旧約聖書の有名なエピソードですが、シバ王国(現在のイエメン、エチオピア)の女王がイスラエルのソロモン王と会見した際、金、宝石、乳香、サンダルウッド(白檀)などを贈りました。
ここで注目すべきは、サンダルウッド(白檀)や乳香などの香料が金や宝石と同等の宝物に見なされている点です。シバ王国は、乳香・没薬など香料の産地として栄えていました。
美容や宗教儀式として重宝されてきた香料は香辛料はとほぼ同意義であり、古代では東西交易(シルクロード・絹の道)の重要なアイテムでした。
十字軍の東方遠征で香料はヨーロッパにも拡がり、近世の世界的な航海時代でも東西交易のもっとも重要な産物でありつづけます。
ヨーロッパ、中近東(アラビア)、インド、中国、日本の間をめまぐるしく行き来する商船隊がもっとも重視して運んだものは、乳香(にゅうこう)・没薬(もつやく)・サンダルウッド(白檀)・日桂・胡椒・伽羅・イリスなどでした。
現在では考えにくいことですが、香辛料は金銀(ゴールド・シルバー)より高価と言われていました。現在でもたとえばブルガリアローズオイルはゴールドと同程度の資産価値があると見なされていますが古い時代の香辛料は同等に資産価値がありました。
なぜなら香辛料のように軽くて高価なものは交易にうってつけだからです。
クレオパトラ(クレオパトラ7世、BC69-BC30)は古代エジプトプトレマイオス朝最後の女王。ユリウス・カエサルとマルクス・アントニウスというローマ帝国屈指の英雄を魅了する絶世の美女。美女かどうかはとにかく昔のことで実際のところはよくわからないところです。
しかし、バラ(薔薇)に関する言い伝えがいろいろあり、とにかく香水の歴史教科書では必ずそのエピソードが語られます。クレオパトラは体臭をバラ臭に変える努力をした最初の人間として歴史に刻まれました。香水とは言えませんが香水文化成立の予感を感じさせます。
1)バラ風呂
2)バラ宮殿
カエサルとアントニウスを迎える際、廊下や寝室にバラを敷き詰めたという話には空想をかき立てられます。クレオパトラが乗った船はバラの香りが漂い遠くからでもそれがクレオパトラの船だとわかったという伝説もありす。
いろいろ誇張されているでしょうから差し引いて考えべきですが、それでも大量のバラが消費されたことが伺えます。東西の歴史の語るところでは権力者が何かの趣味を持っていればそれは宮人や貴族たちに必ず伝播しますので旺盛なバラ需要が推測されます。
そこでこの時代にはすでに権力者向けのバラ畑がありすでに人工的に栽培されていたのでは?と考えられています。
香料が宗教行事や医薬品としてでなく、香粧品(化粧品、トイレタリー)として広く使用されるのはローマ時代からです。
ローマ人は西洋では珍しいことに水浴やお風呂に入る習慣があり公衆浴場もさかんに建設され、現在でもイタリアをはじめイギリスやフランスなどローマ帝国の支配が及んだ地域に遺跡として数多く発掘されています。
(※余談ですが、お風呂文化はローマ帝国の崩壊とともにすたれ、その後ヨーロッパ人はお風呂と無縁な生活習慣を築くことになります。そのため体臭がひどく、それをかくすために香水文化が生まれた、という皮肉な歴史をたどります)
ローマ時代は公衆浴場が流行したと同時に「バラ風呂」などバラの花や精油を使用した生活文化が記録に残されています。
クレオパトラによって愛されたバラ風呂はまだエジプト時代では社会的には一部の印象が否めませんが、一般的に広く(とは言ってもまだまだ貴族など権力者だけの間ですが)バラが使用され始めます。
しかも飲んだり肌に付けたり利用方法も多様化します。パーティで部屋をバラの花で埋めたりお風呂に浮かべたりお酒に入れたりしていたようです。バラの香りを楽しむという点で香水文化の前哨戦的な位置にあります。
中世イスラムでは錬金術が盛んでした。錬金術は他のものからゴールドを創り出すというファンタスティックな魔法で、それ自体はやや怪しげな活動ですが、結果的に化学をはじめ科学全体のレベルを上げることになります。
それはさておきアラビア人たちは、錬金術の装置の一つとして制作されたガラス製や金属製の蒸留装置でもってバラを蒸留するようになります。ローズオイルとローズウォーター(バラ水、フローラルウォーター)の誕生です。10世紀頃です。
エッセンシャル・オイルを抽出する「水蒸気蒸留法」という手法をはじめて確立し、またローズオイルとローズウォーターをはじめて精製した人物が、アラビアのチョー偉大な科学者兼医学者イブン・シーナ(英名:アビセンナ)氏だったらしいです。
ちなみにイブン・シーナ先生の『医学範典』(カノン)は近世までヨーロッパの主要大学の医学の教科書でした。この例からもこの時代いかにアラビアが進んだ文化を誇っていたか忍ばれます。
イスラムの宗教儀式としてローズウォーターが重宝されたことからローズウォーターには安定的な需要が発生します。同時期、同じ蒸留器で発酵物からアルコールが抽出されることが知られるようになりました。
アルコールという物質の存在とその製法が未熟ながらも生まれたのです。アルコールのアル(al-)は、アラビア語に起因します。
精製方法が確立されたアルコールと、ローズの花や、蒸留されたローズオイル、ローズウォーター(バラ水)はすぐに出会います。
幸せなフレグランスが生まれた瞬間です。
アルコールに香料を溶かす製法は、基本的に現在の香水と同じで、現代香水の元祖とも呼ばれます。この後の「ハンガリーウォーター」を現代香水の元祖とする人もいて意見は分かれるかもしれませんが、この辺が香水の原型です。
このあと十字軍はバラと蒸留器と、バラ水、アルコールの蒸留技術、そして香水をヨーロッパに持ち帰ることになります。
ハンガリーウォーターをご存知でしょうか?いろいろな伝説があってよくわかりませんが、ハンガリー王妃エリザベートのために14世紀、ハンガリーの僧院で作られたと言われています。別名『若返りの香水』。
72歳のハンガリー王妃エリザベートに献上され、洗顔、化粧、入浴などに使用され持病のリウマチが治ったばかりか、若さまで取り戻し、ポーランド国王からプロポーズされたという伝説があります。
ハンガリーウォータはシャンプーの後のリンスに用いると髪につやが出ると言われ現在でも使用されています。当時アラビアで発明されたばかりのアルコールにローズマリーやローズオイルを加えたもので作り方が簡単なので現在でも手作り化粧品(処方:エタノール+精油)として人気があります。
16世紀になるとイタリア、フランスあたりにも香水作りの気運が高まります。サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局はフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会付属の薬局。日本では香水の店として百貨店などで出店しています。
この時代は医薬品も化粧品も香水も同じようなものですから薬の一部としてフレグランスも制作されていたと推測されます。
アンリ2世と結婚したメディチ家のカトリーヌはイタリア文化をフランスに広めた人ですが、当時のフランスはイタリアと比較するとかなり発展途上国(ドイツなどといったらさらに野蛮国とみなされていたでしょう)。
しかし、時代とともに芸術やファッションの本場は徐々にフランスへと移動し、香水文化も同様にフランスで開花することになります。
17世紀、ルイ14世。絶対王政時代の幕開けを告げる象徴的存在。太陽王。トイレが少なかったことである意味超有名なヴェルサイユ宮殿を造営。
香水好きの皇帝として調香師を常駐させるなど有名ですが一説に人糞まみれのヴェルサイユ宮殿での防衛手段として香水を多用したとも言われている。
この時代に香水産業は大きな発展をとげます。ひとつにはマスキング。お風呂に入らない貴族達が体臭を隠す(マスキング)ために、エチケットとして香水が使用されるようになります。
また、この時代は皮革独特の動物臭を消すために香料が重宝され、香料原料となるジャスミンやローズなどがさかんに生産されるようになります。
香水のメッカとしてとして有名なグラースは実は香水よりもなめし皮産業の街であり、周辺はなめし皮処理用香料畑の産地でした。
※[ひと休憩]香水文化を結果的に高めた千両役者たち・・・
・エリザベス1世:イギリス女王。「薔薇の女王」。バラの香りをことのほか愛し、衣服・手袋・カーテン・ベッドなど何でもかんでもバラの匂いを付香
・ルイ14世:フランス国王。香水好きで有名な皇帝。「最もかぐわしい皇帝」
・ルイ15世:フランス国王。香水好き
・ポンパドール夫人:ルイ15世の愛人。香水好き
・マリー・アントワネット:ルイ16世王妃。香水好き。動物性の香水が主流のなかでハーブなど植物性の香りを愛用。当時としてはかなり垢抜けていた
・ナポレオン・ボナパルト:柑橘系オーデコロン愛用
南仏グラースはアルプス山脈の丘陵の一翼に位置し温暖で香料植物に適した気候に恵まれジャスミン、ミモザ、ラベンダー、ローズマリー、オレンジフラワーなどが自生していました。
「南仏」、「プロバンス」という響きは、温暖な気候とともにラベンダーのようなハーブ類や丘陵を被う豊かな自然、地中海の文化などをイメージさせますね...
皮革製品の対臭対策として用いられていたエッセンシャル・オイル関連産業は、そのまま香水産業へと転換していきます。
現在ではエッセンシャル・オイルや香料の産地は北アフリカ、中近東、東欧、中国などに移りましたが、現在でもグラースは世界の著名な香料会社、化粧品会社が集まり、調香師を多く輩出する街として有名です。
18世紀、ドイツのケルンでオーデコローニュ(Eau de Cologne、オーデコロン)が製品化されされました。
大変な人気で、もともとはオーデコロンとは「ケルンの水」という意味ですが、普通名詞化し香水の一ジャンルとなりました(パルファン、オードトワレ、オーデコロン)。
この時代はナポレオンの時代ですが、ナポレオン自身オーデコロンの愛用者として有名で、またフランス兵たちは自国の妻や恋人へのお土産として「ケルンの水」を持ち帰えりました。
同時代イギリスでは『香水風呂』が流行り、フランスでは『香水専門店』が開店したり香水が化粧品や生活用品の一分野として確立された時代だと思います。
このころになると香料、香水、化粧品、薬品はかなり明確に分離されるようになっています。
ジャスミ、ラベンダー、シトラスなど様々な天然香料の産地を有し、自国で香料生産が産可能なフランスに対して、ドイツでは化学的に香料を生産する合成香料が開発されました。
もともとドイツは化学産業がさかんで農薬、肥料、医薬品産業の発展が著しかったため合成香料の開発も自然な成り行きといえます。
現在、世界の大手香料会社は、医薬品や化学会社でも同じですがドイツ、スイス、オランダ周辺に起源がある会社が多いようです
(※とはいえ合併に合併を繰り返し巨大化し多国籍化した現在の医薬品や化学会社に国籍を問うのは、もはや意味がなくなりつつありますが)。
現在世界トップの香料会社:Givaudan(ジボダン、スイス)、IFF(アメリカ)、Firmenich(フィルメニッヒ、スイス)、Symrise(シムライズ、ドイツ)、Quest International(クエスト・インターナショナル、オランダ)、ICI(英国)、Takasago(高砂香料工業、日本)、T.Hasegawa(長谷川香料、日本)。
合成香料の発明で量産が可能となり、香水はそれまでの貴族の品物から民衆の化粧品へとなっていきます。合成香料は自然界に存在する香り成分の再現(ネイチャーアイデンティカル)が目標でした。
現在では自然界に存在しない香り成分(ニューケミカル、アーティフィシャル)も創り出されるようになり、香りのバリエーションは拡大の一方ですが、反面自然回帰指向も強く天然香料には安定した人気と需要があります。
(2006-04-01)
香料の歴史
古代エジプトではミイラの防腐、殺菌、保存に香料が使用されたことから、香料は薬品的な必要性から生まれた物質と考えられます。
香料は化粧品と食品どちらにも使用されますが、化粧品として美容液、クリームとしてすでに古代エジプト、ギリシア時代には化粧品が存在したこと知られています。
食品としては腐敗を遅らせたり防いだりする添加物として使用されています。
宗教儀式と関わりが深い香り
パルファムとは香水という意味ですが「Parfum」の語源はラテン語の「Per Fumum」(煙で)という意味だそうで。宗教儀式でお香のようなものが焚かれていたことが伺えます。
香料の歴史はふしぎなことに西洋でも東洋でもその始まりは宗教的儀式と関係が深く、また現代でもお寺や教会、モスク内をお香などで満たす行為は世界中の宗教に見られます。
神聖なものであり、また人々を穏やかに恍惚とさせる効果があるからでしょうか。
香料・香辛料は宝物
シバの女王は旧約聖書の有名なエピソードですが、シバ王国(現在のイエメン、エチオピア)の女王がイスラエルのソロモン王と会見した際、金、宝石、乳香、サンダルウッド(白檀)などを贈りました。
ここで注目すべきは、サンダルウッド(白檀)や乳香などの香料が金や宝石と同等の宝物に見なされている点です。シバ王国は、乳香・没薬など香料の産地として栄えていました。
美容や宗教儀式として重宝されてきた香料は香辛料はとほぼ同意義であり、古代では東西交易(シルクロード・絹の道)の重要なアイテムでした。
十字軍の東方遠征で香料はヨーロッパにも拡がり、近世の世界的な航海時代でも東西交易のもっとも重要な産物でありつづけます。
ヨーロッパ、中近東(アラビア)、インド、中国、日本の間をめまぐるしく行き来する商船隊がもっとも重視して運んだものは、乳香(にゅうこう)・没薬(もつやく)・サンダルウッド(白檀)・日桂・胡椒・伽羅・イリスなどでした。
現在では考えにくいことですが、香辛料は金銀(ゴールド・シルバー)より高価と言われていました。現在でもたとえばブルガリアローズオイルはゴールドと同程度の資産価値があると見なされていますが古い時代の香辛料は同等に資産価値がありました。
なぜなら香辛料のように軽くて高価なものは交易にうってつけだからです。
(香水の歴史) クレオパトラのバラ風呂
クレオパトラ(クレオパトラ7世、BC69-BC30)は古代エジプトプトレマイオス朝最後の女王。ユリウス・カエサルとマルクス・アントニウスというローマ帝国屈指の英雄を魅了する絶世の美女。美女かどうかはとにかく昔のことで実際のところはよくわからないところです。
しかし、バラ(薔薇)に関する言い伝えがいろいろあり、とにかく香水の歴史教科書では必ずそのエピソードが語られます。クレオパトラは体臭をバラ臭に変える努力をした最初の人間として歴史に刻まれました。香水とは言えませんが香水文化成立の予感を感じさせます。
1)バラ風呂
2)バラ宮殿
カエサルとアントニウスを迎える際、廊下や寝室にバラを敷き詰めたという話には空想をかき立てられます。クレオパトラが乗った船はバラの香りが漂い遠くからでもそれがクレオパトラの船だとわかったという伝説もありす。
いろいろ誇張されているでしょうから差し引いて考えべきですが、それでも大量のバラが消費されたことが伺えます。東西の歴史の語るところでは権力者が何かの趣味を持っていればそれは宮人や貴族たちに必ず伝播しますので旺盛なバラ需要が推測されます。
そこでこの時代にはすでに権力者向けのバラ畑がありすでに人工的に栽培されていたのでは?と考えられています。
(香水の歴史) ローマ時代のバラ風呂
香料が宗教行事や医薬品としてでなく、香粧品(化粧品、トイレタリー)として広く使用されるのはローマ時代からです。
ローマ人は西洋では珍しいことに水浴やお風呂に入る習慣があり公衆浴場もさかんに建設され、現在でもイタリアをはじめイギリスやフランスなどローマ帝国の支配が及んだ地域に遺跡として数多く発掘されています。
(※余談ですが、お風呂文化はローマ帝国の崩壊とともにすたれ、その後ヨーロッパ人はお風呂と無縁な生活習慣を築くことになります。そのため体臭がひどく、それをかくすために香水文化が生まれた、という皮肉な歴史をたどります)
ローマ時代は公衆浴場が流行したと同時に「バラ風呂」などバラの花や精油を使用した生活文化が記録に残されています。
クレオパトラによって愛されたバラ風呂はまだエジプト時代では社会的には一部の印象が否めませんが、一般的に広く(とは言ってもまだまだ貴族など権力者だけの間ですが)バラが使用され始めます。
しかも飲んだり肌に付けたり利用方法も多様化します。パーティで部屋をバラの花で埋めたりお風呂に浮かべたりお酒に入れたりしていたようです。バラの香りを楽しむという点で香水文化の前哨戦的な位置にあります。
(香水の歴史) アラブ・アラビアの『ローズウォーター』
中世イスラムでは錬金術が盛んでした。錬金術は他のものからゴールドを創り出すというファンタスティックな魔法で、それ自体はやや怪しげな活動ですが、結果的に化学をはじめ科学全体のレベルを上げることになります。
それはさておきアラビア人たちは、錬金術の装置の一つとして制作されたガラス製や金属製の蒸留装置でもってバラを蒸留するようになります。ローズオイルとローズウォーター(バラ水、フローラルウォーター)の誕生です。10世紀頃です。
エッセンシャル・オイルを抽出する「水蒸気蒸留法」という手法をはじめて確立し、またローズオイルとローズウォーターをはじめて精製した人物が、アラビアのチョー偉大な科学者兼医学者イブン・シーナ(英名:アビセンナ)氏だったらしいです。
ちなみにイブン・シーナ先生の『医学範典』(カノン)は近世までヨーロッパの主要大学の医学の教科書でした。この例からもこの時代いかにアラビアが進んだ文化を誇っていたか忍ばれます。
(香水の歴史) 香水の基剤、アルコールの発明
イスラムの宗教儀式としてローズウォーターが重宝されたことからローズウォーターには安定的な需要が発生します。同時期、同じ蒸留器で発酵物からアルコールが抽出されることが知られるようになりました。
アルコールという物質の存在とその製法が未熟ながらも生まれたのです。アルコールのアル(al-)は、アラビア語に起因します。
精製方法が確立されたアルコールと、ローズの花や、蒸留されたローズオイル、ローズウォーター(バラ水)はすぐに出会います。
幸せなフレグランスが生まれた瞬間です。
アルコールに香料を溶かす製法は、基本的に現在の香水と同じで、現代香水の元祖とも呼ばれます。この後の「ハンガリーウォーター」を現代香水の元祖とする人もいて意見は分かれるかもしれませんが、この辺が香水の原型です。
このあと十字軍はバラと蒸留器と、バラ水、アルコールの蒸留技術、そして香水をヨーロッパに持ち帰ることになります。
(香水の歴史) 「ハンガリーウォーター」
ハンガリーウォーターをご存知でしょうか?いろいろな伝説があってよくわかりませんが、ハンガリー王妃エリザベートのために14世紀、ハンガリーの僧院で作られたと言われています。別名『若返りの香水』。
72歳のハンガリー王妃エリザベートに献上され、洗顔、化粧、入浴などに使用され持病のリウマチが治ったばかりか、若さまで取り戻し、ポーランド国王からプロポーズされたという伝説があります。
ハンガリーウォータはシャンプーの後のリンスに用いると髪につやが出ると言われ現在でも使用されています。当時アラビアで発明されたばかりのアルコールにローズマリーやローズオイルを加えたもので作り方が簡単なので現在でも手作り化粧品(処方:エタノール+精油)として人気があります。
(香水の歴史) ルネッサンス前後
16世紀になるとイタリア、フランスあたりにも香水作りの気運が高まります。サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局はフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会付属の薬局。日本では香水の店として百貨店などで出店しています。
この時代は医薬品も化粧品も香水も同じようなものですから薬の一部としてフレグランスも制作されていたと推測されます。
アンリ2世と結婚したメディチ家のカトリーヌはイタリア文化をフランスに広めた人ですが、当時のフランスはイタリアと比較するとかなり発展途上国(ドイツなどといったらさらに野蛮国とみなされていたでしょう)。
しかし、時代とともに芸術やファッションの本場は徐々にフランスへと移動し、香水文化も同様にフランスで開花することになります。
(香水の歴史) ルイ王朝時代
17世紀、ルイ14世。絶対王政時代の幕開けを告げる象徴的存在。太陽王。トイレが少なかったことである意味超有名なヴェルサイユ宮殿を造営。
香水好きの皇帝として調香師を常駐させるなど有名ですが一説に人糞まみれのヴェルサイユ宮殿での防衛手段として香水を多用したとも言われている。
この時代に香水産業は大きな発展をとげます。ひとつにはマスキング。お風呂に入らない貴族達が体臭を隠す(マスキング)ために、エチケットとして香水が使用されるようになります。
また、この時代は皮革独特の動物臭を消すために香料が重宝され、香料原料となるジャスミンやローズなどがさかんに生産されるようになります。
香水のメッカとしてとして有名なグラースは実は香水よりもなめし皮産業の街であり、周辺はなめし皮処理用香料畑の産地でした。
※[ひと休憩]香水文化を結果的に高めた千両役者たち・・・
・エリザベス1世:イギリス女王。「薔薇の女王」。バラの香りをことのほか愛し、衣服・手袋・カーテン・ベッドなど何でもかんでもバラの匂いを付香
・ルイ14世:フランス国王。香水好きで有名な皇帝。「最もかぐわしい皇帝」
・ルイ15世:フランス国王。香水好き
・ポンパドール夫人:ルイ15世の愛人。香水好き
・マリー・アントワネット:ルイ16世王妃。香水好き。動物性の香水が主流のなかでハーブなど植物性の香りを愛用。当時としてはかなり垢抜けていた
・ナポレオン・ボナパルト:柑橘系オーデコロン愛用
(香水の歴史) グラースの香料産業
南仏グラースはアルプス山脈の丘陵の一翼に位置し温暖で香料植物に適した気候に恵まれジャスミン、ミモザ、ラベンダー、ローズマリー、オレンジフラワーなどが自生していました。
「南仏」、「プロバンス」という響きは、温暖な気候とともにラベンダーのようなハーブ類や丘陵を被う豊かな自然、地中海の文化などをイメージさせますね...
皮革製品の対臭対策として用いられていたエッセンシャル・オイル関連産業は、そのまま香水産業へと転換していきます。
現在ではエッセンシャル・オイルや香料の産地は北アフリカ、中近東、東欧、中国などに移りましたが、現在でもグラースは世界の著名な香料会社、化粧品会社が集まり、調香師を多く輩出する街として有名です。
(香水の歴史) ケルンの「オーデコロン」
18世紀、ドイツのケルンでオーデコローニュ(Eau de Cologne、オーデコロン)が製品化されされました。
大変な人気で、もともとはオーデコロンとは「ケルンの水」という意味ですが、普通名詞化し香水の一ジャンルとなりました(パルファン、オードトワレ、オーデコロン)。
この時代はナポレオンの時代ですが、ナポレオン自身オーデコロンの愛用者として有名で、またフランス兵たちは自国の妻や恋人へのお土産として「ケルンの水」を持ち帰えりました。
同時代イギリスでは『香水風呂』が流行り、フランスでは『香水専門店』が開店したり香水が化粧品や生活用品の一分野として確立された時代だと思います。
このころになると香料、香水、化粧品、薬品はかなり明確に分離されるようになっています。
(香水の歴史) 合成香料の発明
ジャスミ、ラベンダー、シトラスなど様々な天然香料の産地を有し、自国で香料生産が産可能なフランスに対して、ドイツでは化学的に香料を生産する合成香料が開発されました。
もともとドイツは化学産業がさかんで農薬、肥料、医薬品産業の発展が著しかったため合成香料の開発も自然な成り行きといえます。
現在、世界の大手香料会社は、医薬品や化学会社でも同じですがドイツ、スイス、オランダ周辺に起源がある会社が多いようです
(※とはいえ合併に合併を繰り返し巨大化し多国籍化した現在の医薬品や化学会社に国籍を問うのは、もはや意味がなくなりつつありますが)。
現在世界トップの香料会社:Givaudan(ジボダン、スイス)、IFF(アメリカ)、Firmenich(フィルメニッヒ、スイス)、Symrise(シムライズ、ドイツ)、Quest International(クエスト・インターナショナル、オランダ)、ICI(英国)、Takasago(高砂香料工業、日本)、T.Hasegawa(長谷川香料、日本)。
合成香料の発明で量産が可能となり、香水はそれまでの貴族の品物から民衆の化粧品へとなっていきます。合成香料は自然界に存在する香り成分の再現(ネイチャーアイデンティカル)が目標でした。
現在では自然界に存在しない香り成分(ニューケミカル、アーティフィシャル)も創り出されるようになり、香りのバリエーションは拡大の一方ですが、反面自然回帰指向も強く天然香料には安定した人気と需要があります。
(2006-04-01)
( 香水工場の )
香る生活
亭主の加齢臭にお困りの奥様へ
思わず怪しげなタイトルをつけてしまいました。
『コンシンのジェル』とは、一言で言えば、化粧水+乳液+クリームといったマルチ機能スキンケアジェルです。しかもブルガリアローズ・オイルたっぷり。
『コンシンのジェル』を現在様々な方々に試してもらっているのですが、今日に社内ミーティングでスタッフから驚くべき提案がされました。
天然ローズオイルの抗酸化力と殺菌効果の高さはつとに有名です。とくに殺菌効果の高さゆえに「加齢臭にも効くはず」というのです。
そこで加齢臭にお困りの方、本当に加齢対策に効果ありか?試してくださる方を10名募集することにしました。
『コンシンのジェル』試供品を無料で送ります。感想メールを送ってくれるだけでOKです。ご希望の方おられましたたら、私までメールにてご一報ください。
(2006-03-31)
『コンシンのジェル』とは、一言で言えば、化粧水+乳液+クリームといったマルチ機能スキンケアジェルです。しかもブルガリアローズ・オイルたっぷり。
『コンシンのジェル』を現在様々な方々に試してもらっているのですが、今日に社内ミーティングでスタッフから驚くべき提案がされました。
天然ローズオイルの抗酸化力と殺菌効果の高さはつとに有名です。とくに殺菌効果の高さゆえに「加齢臭にも効くはず」というのです。
そこで加齢臭にお困りの方、本当に加齢対策に効果ありか?試してくださる方を10名募集することにしました。
『コンシンのジェル』試供品を無料で送ります。感想メールを送ってくれるだけでOKです。ご希望の方おられましたたら、私までメールにてご一報ください。
(2006-03-31)
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香る生活
プレゼント企画、『ChouChouシュシュ』5/10号増刊号にて
『ChouChouシュシュ』18年5/10号増刊にて、フローラル4シーズンズ『沈丁花』読者プレゼント(5名様)。
ちなみにこの号は「幸せになれるカラダきれいBOOK '06春版」というそそられるタイトル。「モテ肌をつくるアンチエイジング法」という特集もあります。(シュシュ増刊『幸せになれるカラダきれいBOOK』3/27発売)
●角川書店『ChouChouシュシュ』
(2006-03-31)
ちなみにこの号は「幸せになれるカラダきれいBOOK '06春版」というそそられるタイトル。「モテ肌をつくるアンチエイジング法」という特集もあります。(シュシュ増刊『幸せになれるカラダきれいBOOK』3/27発売)
●角川書店『ChouChouシュシュ』
(2006-03-31)
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香る生活
『コンシンのジェル』試供品ご提供開始
『コンシンのジェル』(化粧水+乳液+クリーム)もようやくみなさまにお試しいただける段階まできました。
小さなプラスティック容器に少量詰めたジェルを、当店でお買物をされたお客様にお付けしています(本日より4月7日のご注文まで)。ブルガリアローズの香りをお試しください。
※伊勢丹新宿店の当社売場ではお配りしていません。
(2006-03-30)
小さなプラスティック容器に少量詰めたジェルを、当店でお買物をされたお客様にお付けしています(本日より4月7日のご注文まで)。ブルガリアローズの香りをお試しください。
※伊勢丹新宿店の当社売場ではお配りしていません。
(2006-03-30)
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